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「真装甲仁義村雨 始 後編」 その4 [装甲悪鬼村正 SS]

「真装甲仁義村雨 始 後編」 その4

 

 

 


悲鳴を上げながら逃げ惑う人々の流れを眼下に納めながら、その流れとは正反対の方向に向かって屋上から屋上を移動する。

「これは…」

およそ六万坪もの面積を持つ熱田神宮は、深い森林に囲まれ、街中にあって尚、訪れる者を静寂に包まれた聖域にいざなうという。
だがしかし。
私の眼前に広がるかつての神秘の森は、猛火に襲われ火炎地獄と化して私を出迎えた。

≪御堂≫
「…行こう」

正門に入ると、まず炎に包まれて横倒しになった山車が目に入る。傍にはたくさんのちょうちんが燃え続けていた。
…ホテルから見た献灯まきわらという奴だろうか。
一瞬、言いようの無い寂しさを私は覚える。

≪どうする?≫
「本宮へ。確証は無いけど…多分そこ」
≪合点≫

再び琴乃ちゃんが駆け出す。
正門から本宮までは長い長い一直線だ。周囲の森林はそのまま炎の海となり、現在進行形で激しさを増し続けているが、気にする事無く突っ切って行く。
辺りには既に人の気配は無い。とはいえこれだけ敷地が広いとなると、果たして皆が全員無事に脱出出来たかどうか…。もしかしたら誰かが取り残されている可能性もある…。
だが私は、敢えてひたすらに本宮を目指す。
…また一つ、私は神ならぬ身で命の選択を行った。心のどこかが軋むが、今はそれを無視する。
私に正義は無い。私は傲慢な殺戮者。
武者に出来ることは闘うことだ。誰かの命を救い、誰かの命を見捨てる。誰かを守り、誰かを殺す。
そして今優先すべきは、この惨状の元凶を取り除くこと。

(…そうだ。迷うな私)

目の前のことに集中せねばと分かっていても、どこか自分の中に感じる言葉に出来ない違和感。
自分が今どちらに向かって進んでいるのか。前に向かっているのか。脇道にそれてはいないか。うっかり後退してはいないか。それとも、まさか立ち止まっているのか…。ふと判然としなくなるのだ。
落ち着け、信子。
道中何度も納得した事だ。
今こうして暴走を続ける劒冑狩りの夜叉を捨て置く訳にはいかない。被害を広げないためにも、ここで止めなければ。それが無理ならば、殺す…。事ここに至っては迷いは許されない。

≪………≫

琴乃ちゃんは私の内心の葛藤を感じ取っているのかもしれなかったが、私が意識を向けても、私の相棒はただ静かな波動を返すのみだった。

 

倒れた鳥居を超え、本宮に辿りつく。
本宮の被害は特に酷かった。樹木は燃え続け、拝殿は中央を抉り取られたかのような形で吹き飛んでおり、その奥の本殿が丸見えとなっている。
本殿は既に跡形も無く崩れ落ちており、当然の如く火の海の真っ只中で、その手前では何かの爆心地のように地面が爆ぜて大穴が開いている。

──────そこに彼女はいた。

こげ茶色の長髪、白い着物、背中には太刀のようなものを背負っている。
爆心地の手前、私から背を向ける形で、燃え盛る本殿の残骸を彼女はぼんやりと眺めていた。
私は琴乃ちゃんから降りて、ゆっくりと本宮前の境内を歩き始めた。
ジャリ。
私の玉砂利を歩く音を聞きとめたのか、彼女は無造作にこちらを振り向いた。
距離と炎の眩しさで顔は判然としない。
そのままフラフラと彼女はこちらへと歩いてくる。
やがて距離が近付くにつれ、私の顔は驚愕に彩られた。
彼女は虚ろなまま、私は愕然としながら口を開く。

「…お姉…さん?」
「貴女は……あの、廃寺の!?」

見間違えようはずが無い。
私に向かって歩いてくる人物こそ、森で小太郎達の戦闘に出くわす直前、雨宿りに借りた廃寺で出会った女性その人だった。
では、この人が…?

「貴女が…劒冑狩りの夜叉…いえ、平居水魚?」
「…夜叉?なにそれ。そんなのは知らないけど、お姉さんの言う通り、ボクが平居水魚だよ」
「………」
「お姉さんは確か、大塚信子さん、だっけ?うーん。でもまぁお姉さんのままでいいや」
「まさかあの時、既に劒冑狩りの夜叉に出会っていただなんて…」

あの時は確かめようも無かったことだが、もしも私があそこでなんとか気付けていれば、今日の事態は…!
逃げ惑う民衆や炎に包まれたちょうちんの姿を思い出す。
私はグッと唇を噛み締めた。

「それで、お姉さんはボクに何か用なの?」
「貴女を止めに来たわ」
「止める?どうして?」
「…どうしてですって?この一面の有り様を見て、何故そんな言葉が出てくるの!?貴女は…一体何の為に、こんな!!」
「意味なんてないよ」
「!?」
「ボクの体に変なの入れられたらさ、どうしようもないくらい胸が熱くなって、熱くなって、本当にどうしようもなくなって、気付いたら暴れてた。別にここを壊すつもりなんて無かったのにね。ただボクは、武者が殺せればそれだけでよかったのになぁ」

あーあ、と平居水魚は、場違いなまでの暢気さで溜息をついた。そして、夜空に浮かぶ月を見上げる。
実験体、情緒が不安定といったキーワードが脳裏に浮かぶ。

「武者が、殺したいだけ?」
「そうだよ。武者って酷いんだ。ボクから大事なモノを奪ってばかりで何も救ってはくれない…本当に奪ってばかり。まるで鬼みたい」

月を見上げていた平居水魚が、ふと、気付いたように視線だけ私へと向けてくる…いや、私達、か。そこには如何なる感情も窺えない。そこにあるのはただひたすらに虚無だった。

「だからさ、ボクは決めたんだ。全ての武者は…悪い鬼は、天にかわってボクが──────ブチ殺す」

その瞳にはっきりと殺意の炎が芽生える。

「そういえば…お姉さんも武者だったよね?見てたよ、あの森で。お姉さんもまぁまぁ強いんだね。"あの人"ほどじゃ無いけど」
「なら、どうだというの?」
「そんなの決まってるでしょ?」

そう呟きながら、平居水魚は背中の太刀をゆっくりと引き抜く。
私が無言で左手を開くと、そこに瞬時に刀が納まる。

「─────────お姉さんに、ボクを救ってもらうんだ」

え?
虚をつかれ、左手で握り締めた刀の鞘をあわや取り落としそうになる。

「な、何を…」
「ボクはね、外道の鬼を退治するために悪鬼になったんだ。人殺しの鬼にね」
「だからボクも罰を受けなきゃならない。悪鬼はみんなブチ殺されなきゃいけないんだもん。自殺じゃあ駄目なんだ。だから、ね」
「ずっと待ってたんだ。神様でも悪魔でもなんでもいい。ボクと同じ鬼だっていい。ボクを救って……殺してくれる誰かを」
「ねぇ、ボクって殺される価値があるでしょ?あの人はそれを認めてくれなかったけど、ボクはこんなに酷いことをしたんだ。今までだってそう。これからだってもっと…だから、ねぇお姉さん。ボクを救ってよ」

無茶苦茶だ。
全ての武者を殺すと宣言した直後に、自分を殺して、救って欲しいと頼んできただって?
しかし、あながち嘘という感じでも…。

「もうね、ボク、自分じゃ止まれないんだ」
「ッ!!」

闘いの始まりは突然だった。
ゆらりと前に傾いた平居水魚は、大地を蹴って私へと迫る。よほどの脚力なのか、地面の土砂が大きく後方に弾けていく。

(速い!)

反応は遅れた…だが。
平居水魚が太刀を振り下ろす。
素人の大根振りだが、その剣速のなんと殺人的なことか。

(初手は抜刀から受け太刀…いや!)

──────殺害された三騎の武者は、そのどれもが甲鉄を両断されて死亡しておりました

「くッ!!」

我武者羅に横っ飛びをして斬撃から逃れる。
ギリギリで私を逃した太刀が、境内の玉砂利の上に炸裂する。
次の瞬間、

大地が、爆ぜた。

そうだ、この破壊力。これこそが、武者の甲鉄を斬り破った劒冑狩りの夜叉の根幹をなすファクター。
人の領域を超えた恐ろしいまでの膂力。これも"実験"とやらの成果だというのだろうか。

≪御堂!!≫

吹き飛ぶ石や土砂から私を守ろうと、琴乃ちゃんが私を庇う様に身を滑り込ませる。

「ッ!」

視界が晴れるよりも早く、私は琴乃ちゃんの背を踏み台にして跳躍し、刀を抜いて平居水魚に斬りかかる。

「でぇええやぁッ!!」
「グゥッ!!」

太刀の腹で私の一刀を平居水魚が受け止める。

「そんな程度でェッ!」

宙に浮いたまま受け止められた私は、強引に押し返されそうになる。
パワーの差が圧倒的なのはどうにもならない。相手は、恐らく得物も相当な業物なのかもしれないが、生身で劒冑の甲鉄を両断する化け物だ。
私はその流れに逆らわず、むしろ勢いを味方にして、両足で彼女の太刀の腹を蹴って小さく後方に宙返りをする。

「!?」

着地。間合いはほぼ一足一刀、ならば!!
平居水魚の反応を待たずに瞬く間に懐に踏み込むと、彼女の胴を薙ぐように太刀を走らせる。
そのまま彼女の脇を抜け、地を滑りながら一先ず距離を取った。
手応えは…。

「…駄目駄目」
「駄目なんだよ、そんなんじゃあ!そんな程度じゃボクを殺せない!!」

血の滴り落ちる腹部を押さえながら、平居水魚が絶叫する。

「なんだよ今のは。まるで殺気が乗ってないじゃないか…」

体を震わせながら、傷口を確かめるように撫でさする。

「お姉さんも、ボクを救ってくれないの?」
「…なら死んじゃえよ!!」

再びの突進。
確かに速い。だがこれでは猪と同じだ。
私は飛び込んできた彼女に対し、その脇を擦れ違うように前転してやり過ごす。

 

…この子は…殺されたがっている。救われたがっている。
殺したいほどの武者への憎しみも本気だろうけれど、それ以上に救われたいという彼女の言葉には、魂の吐露とも言うべき真実の思いが感じられた。

(救う?私が?そんな資格が私にあるの?彼女の言葉を借りるなら、私だってただの人殺しの悪鬼じゃない)

 

素早く振り向くと、彼女が力一杯に太刀を振り回そうとするのが目に飛び込む。
鍛えた体が勝手に最適な行動を判断し、実行に移す。
振り被る直前を捉え、私は相手の太刀の柄頭に自分のそれを打ち込んだ。
如何に剛力を誇ろうと、力が乗り切る前なら制するのは容易い。
一瞬静止する両者。
私は自ら均衡を破り、当身をくらわせてから距離を取った。

(けど、どうすれば…)

 

殺人とは人の人生を一方的に踏みにじること。
私はこれまでに数多くの敵と闘い、その命を奪ってきた。
そのどれもが"村雨"として、力弱い人達を護るために避けられぬものばかりだったが、相手は何も悪党ばかりではない。
対立は避けられずとも、尋常な太刀合いを求めてきた武人もいた。やむにやまれぬ理由から非道を働いた者もいた。
勿論そうではない者達もいる。
正気とは思えない極悪人もいたし、危険な思想に取り付かれた狂人もいた。ただ単純に己の欲望に殉じるがままに殺戮を繰り返す者もいた。
その全てを私は殺めてきた。
私の信じる正義の下に。即ち独善によって。

 

さすがに猪突猛進は控えるようになったらしい。平居水魚はこちらに鋭い眼光を浴びせつつも、直に突進はしてこない。

「ハァハァハァハァハァ…」

彼女の呼吸は荒く、四肢も小さく震えている。のみならず、全身の複数の箇所から出血もしている。私が刃を当てたのは腹部のみにもかかわらず、だ。

(…過剰なパワーに肉体の強度が耐え切れていない?)

持久戦に持ち込めば、あるいは殺さずに制することも可能だろうか。
相手の自滅を誘発させるのも検討する価値がありそうだ。

「ッッ!!」

膠着状態が続きそうなことに焦れたのか、また突撃してくる。

(さて…)

そこから先は、さながら闘牛士にでもなったかのような気分だった。
遠すぎず近すぎずの距離からひたすら回避に徹する。
太刀のリーチは把握したが、正直な所剣閃は見切ったとは言い難い。
何せ大根振りとは言っても、甲鉄をも両断する大根振りだ。剣速はとうに人知の及ばない領域に達している。
とにかく大振りの始動から刃の軌道を見極めて、一寸でも早く回避動作に入るしかない(それでも結果的にはギリギリだ)。
斬撃そのものからは何とか逃れられていたが、恐ろしいのはそれのみにあらず。
剣風、剣圧、そして爆ぜ散る土砂も容赦なく私を襲う。
そのどれもが、行動選択を誤れば即致命的な隙に繋がるものばかり。
正に命がけの綱渡りな選択を数瞬ごとに求められるため、わずか十秒前後の攻防で私の精神力は大きく削り取られていた。…平居水魚も恐ろしいが、ここまで生き延びている自分もまた恐ろしい。
距離を取れば長くは持たないだろう。
武者には及ばないとはいえ、彼女の突進速度もまた驚異的だ。向かって来る度にその速度は増加の一途を辿っている。先程までならいざ知らず、今は十分な加速を行えるだけの間合いは与える訳にはいかなかった。
ちなみにこの状態で霧を作るのは論外である。生身のままでは武者の時ほど霧との同調感覚が鋭敏では無い為、彼女ほどのスピードを誇る相手では補足し切る自信が無い。

「…さっきから何だッ!!避けてばかりじゃないか!?ボクを殺す気がないっていうなら、街を壊しに行ったっていいんだからなッ!!」
「ッ!?」

彼女を街へ行かせるわけにはいかない。なんとしてもここで食い止めねば…。
私は太刀をゆっくりと右肩に担ぐ。武者正調上段の太刀取り。

「そうだ、それでいい。さぁ、かかってこい!!ボクを許すな!!殺意をぶつけろ!!」

…やるしかないのか。
太刀を交えるとなればもはや躊躇の許される相手ではない。
私は決断を迫られていた。

 

平居水魚。
その身をおぞましい実験に差し出すほどに武者を憎み、それ以上に自身を否定する彼女。
恐らくは尋常でない理由があるのだろう。
だからといって彼女の凶行を見逃すことは論外だ。
例え如何なる理由があろうとも、誰かが誰かの命を摘み取っていい理由にはならない。その点で殺人とは、どんな場合であっても悪鬼の所業と言えるだろう。
そう、私もまた悪鬼なのだ。けして誰かに救いを与えられるような人間ではない。

 

大地に炸裂する平居水魚の斬撃。さながら大砲の着弾のような衝撃だった。
二次被害で動きを止められると判断した私は、横から駆けて来た琴乃ちゃんの背に捕まって破壊圏から逃れる。
…逃れることには成功したが、距離が開いてしまう。

「うぉおおおおおお!!!」

咆哮を上げながら平居水魚が大地を蹴り飛ばした。
一足飛びで20メートルの距離が0に縮められる。…いい加減生身の人間を相手にしていると意識するのが馬鹿らしくなる。

(駄目だ、速すぎる!)

琴乃ちゃんは懸命に駆けて逃れようとするが、間に合わない。
今にも平居水魚が迫ろうとしていたその時、
──────私達の目の前で踏み込みを行った彼女の右足が外側に曲がる。

「ガッ!?」

肉体の限界を無視し続けてきたツケが回ってきたようだった。
しかし。

「ァグゥゥウアアァアア!!!」

それでも強引に太刀を振り下ろしてくる。恐ろしいまでの執念。いや、妄念とでも言うべきなのか。
一瞬タイミングがずれた為、かろうじて直撃は避けることが出来た。
けれど眼前で発生した爆発からは逃れることに失敗する。
未だかつて味わったことの無いような衝撃。体が宙に投げ出され、天地が逆転したかと思うと…いや、逆転どころの話ではない。視界が激しく流転する。…琴乃ちゃんの声がやけに遠い。こんなに遠くに感じたのは初めてかもしれない。
やがて体が地面に叩きつけられる。激痛のはずだったが、それすらも定かでは無いほでに、意識も感覚も混濁状態に陥っていた。

(立たなきゃ…立たないと…立って…立って…立って………その後、どうすればいいんだろ)

平居水魚を殺すのか。それで彼女を救うのか。それが救いになるのか。
私にそんなことが出来るのか。
ここで、私の意識は暗闇に包まれる。

 

 

生まれた時はみなただの赤ん坊だ。初めから悪と断じていい人間などいるわけがない。
つまり、私が対峙した敵にも、理由、過去、人生があったのだ。そして、私が殺めなければそれはこれからも先へと続いていたのだ。
…私はそれを容赦なく断ち切った。恐ろしい行為だ。おぞましい行為だ。許されざる行為だ。
けれどそうと分かっていてもやらねばならなかった。
何故かと聞かれれば、それが"私達"だからと答えるしかない。それが"村雨"なのだから、と。
力弱き人々を護るために力を振るうのが、琴乃ちゃんの心鉄の在り方であり、あの海でグレムリンを暴走させて罪を背負った私が、琴乃ちゃんに生かされたことで得た魂の在り方なのだ。

…けど。

真っ暗な道を一人私が歩いている。琴乃ちゃんの姿は見当たらない。
歩く。ひたすらに歩く。
歩き続けると、地面が妙に水っぽいような粘着質なような、なんともいえない不快な感触であることに気付く。
…気付いた途端、急に匂いが鼻に届いた。

「血だ」

私が歩いていたのは血だまりの中だった。
暗くて他の液体と見た目には判別つかなかったが、この匂いを嗅ぎ間違えるわけがない。
そう。だって、慣れ親しんだ匂いなのだから。
だから何の不思議も無い。
私がこんな道を歩いているのも当然だった。この道は私が村雨として歩んできた歴史そのものなのだから。
やがて前方に光が見えてきた。
近付いてみると、それは血だまりの中からだった。
私はその中へと手を伸ばす。何かを掴んだのを確認し、持ち上げてみると、それは銀色の卵だった。

(これは、まさか…)

次の瞬間、銀色の卵が強烈に光輝いた。
あまりにも眩くて、私は卵を落とし、その輝きをただ手で遮ることしか出来ずに立ち尽くす。
もはや目を開けていられないほどの閃光に私の全身が包まれた。

 

瞼の向こうで閃光が止むのを確認してから、ゆっくりと瞳を開く。
一番最初に目に飛び込んだのは、小さなサーキットだった。
周囲を見回して今の状況を理解する。
私はサーキット脇の芝生に立っているようだ。

「懐かしいよね、ここ」

ふと聞こえた声は、私のすぐ隣から。

「操…」

かつて道を違え、それが今生の別れとなってしまった、私の親友でありライバルであった少女。
懐かしいと言われ、改めて景色を確認し、ようやく私の脳裏にも閃くものが浮かんだ。

「タムラの練習場…古くてもう使われてないけど…」
「私達も少ししか使ったことないよね。でも私はここが一番好き。信子と、ライバルと初めて競った練習場だもの」
「うん」

私も芝生に腰掛ける。どういうわけか、この状況への疑念は少しずつ薄れていっている。そのこと事態への危機感すら忘れるほどに。
私達はつかの間の時間、言葉を交わす事無く静かなサーキットを見つめ続けた。

「信子は、今でも走ってる?」
「え?」

どれくらい経っただろうか。ふとかけられた言葉に私は横を向く。
操はサーキットに視線を向けたままだった。

「走ってるよ…ずっと」
「そっか、よかった。信子には才能があったもの。走るのを止めるべきなんかじゃなかった」
「………」
「私のせいで信子がタムラからいなくなって、ずっと気になってたの。後悔は、してなかったけど」
「…してないんだ、後悔は」

私は呆れたように呟く。
形振り構って入られなかったのは分かるけど、でも、何もあんな方法で…。

「いいの。お父さんは私を必要としていたから。私にとっては何よりも、お父さんの求めに応えるのが喜びだったんだもの」

まるで私の心の声が聞こえているかのような答えだった。

「貴方達親子のことは、結局最後までよく分からなかったなぁ。夢を託した父親と託された娘。世間では親子愛がどうのとか言ってたけど、私にはそんな次元じゃないように見えた。親子二人で支えあうとかじゃない。一心同体ってこういうことを指すのかなぁって。それがちょっと、怖くもあったけど」
「お父さんは私に言ったの。世界の先端に、独りで立てって。何もかも振り切って。追いすがる全てを振り捨てて。孤独へ。たった一人分の、その場所へ。それが私の全てだった」
「………」
「信子には何が見えた?」
「え?」

もう一度私は操を見る。今度は彼女もこちらを見つめていた。その顔に穏やかな微笑みを浮かべて。

「私知ってるよ。信子も立ったんでしょ?世界の最果て、その極限に」
「操…」
「ねぇ、何が見えた?」
「操が…見えたよ」
「私が?」
「うん。操が、独りで走ってるのが見えたの。だから私は孤独じゃ無かった。貴女と一緒に走ってた。…それに、琴乃ちゃんも力を貸してくれて、一緒だったし」
「………」

操は何も答えない。静かに私を見つめるままだ。

「なら、違うよ」
「え?」
「信子はまだ、世界の極限には立ってない。私がいた世界は私だけのもの。誰かと共有することは出来ない」
「……」
「信子には確かに私の姿が見えたのかもしれない。あの蒼い騎影が。私の世界が。でもそれは信子のものじゃない。見つけなきゃ。信子だけの世界を」
「…どうして?どうして私にそんなことを言うの?私は操と一緒に走れた時涙が零れるくらい嬉しかった!自分がまた操と一緒に走れて凄く嬉しかったのに!……どうして…」

涙が止め処なく溢れる。
ありがとう。
と、操はそう言って私の頬に手を添えた。

「信子にもきっとあるって信じてるから。だから足踏みして欲しくないの。ねぇ、私にも見せて?信子の煌きを。信子の世界を」
「あるのかな…そんな大それたものが。私なんかに」
「多分ね、もうちゃんと信子の中にそれはある。だから後はそれに気付くだけ」
「操…」

操が、うーん、と伸びをしながら立ち上がった。
晴れやかな表情だった。
私が彼女と共にいた頃にはついぞ見たこともないような、とても素敵な──────。

「私、もう行くね」
「操!」
「きっとこれが最後になる。貴女はきっと、貴女の走る道を見つける。私を振り返るのは、これでお終い」
「操ッ!!」
「ありがとう。こんな時に私を振り返ってくれて。頑張れ、信子」

強烈な光に包まれる。
目をしかと閉じる間もなく、再び世界は一変した。

 

「………」

静かな波の音が耳に届いた。
真っ赤な夕日が私に降り注ぐ。
私は艦の甲板上にいた。ここはどこかと己に問うまでも無い。
ジョーンと分かれた、あの海の艦の上だ。
けれどここには、琴乃ちゃんも、オーリガさんも、そしてジョーンもどこにもいなかった。
私の目の前にいるのは…。

「私」
「そう、大塚信子…だよ」

花モチーフの付いたカチューシャに眼鏡をかけた、武者になる前の姿の私がそこにあった。

「ジョーンがいると思った?」
「それは…」
「残念だったねぇ。ここにいるのは私だけでした」

テヘ、と舌を小さく出しておどける"私"。
その仕草は確かに私そのものであり、今という時には腹ただしいことこの上ない。

「なんてね」
「貴女…」

"私"は両手を後ろで組んで、屈みながら"私"を下から覗き込む。

「ここに来るのはいや?」
「楽しい思い出はないわ。二度ともね」
「一度目は、"私"が勝手にオヴァムを使ったせいで結果的にたくさんの人が死んだ」
「…」
「二度目は、"私"の意思で殺した。オヴァムを残さない為に」
「そうよ…。あの方法が本当に正しかったのかは分からない。それでもオヴァムを見過ごすわけにはいかなかった…」
「どうして?」
「それは…」
「分かってる。何の関わり合いも罪も無い人達の犠牲の上にオヴァムが生まれた。そしてそのオヴァムが、更なる犠牲を生むであろう大きな争いに利用されようとしていた。"私"にはそれが許せなかった。例えそれで救われる人がいるとしても、それでも"私"は許せなかった。"私"のしたことは立場と見方によって正義ともとれるし悪ともとれる。まぁようするに"独善"って奴だねぇ」
「そう、その通りね…」
「だから"私"は悩んでる。これまで自分の進んできた道に絶対的な正義なんて無いことを知っているから。本当は正義を信じたいのにねぇ…」
「そう、信じたい。だってそれは…」
「"私"と琴乃ちゃんの理想だから」
「"力弱き人々を護るために力を振るう"。それが"村雨"の闘い。それが村雨の正義。けれど、正義を信じ、同士を求め、そうやって戦いを広げては、結局何も変わらない」
「正義では、何も変えられないことを私は知っている…」
「そう。結局は正義にとっての悪、あるいは別の正義とぶつかり合うだけ。殺し合うだけ」

そうだ。だから…

「だから"私"は邪悪だけはどうしようもなく素直に信じることが出来る。誰かの人生を、命を摘み取る行為は最低最悪。シンプルで分かり易いねぇ」
「うん…。人殺しは邪悪…。例えどんな外道であっても、殺した後に胸がすくような思いになったことは一度も無かった…。理屈抜きに、ただただ恐ろしくて仕方が無い」
「"私"が信じたいのは正義。けれど信じているのは邪悪」
「"私"は絶えずそのせめぎ合いの中で、悩みもがきながら今日まで闘い続けてきた…」
「──────そう、闘い続けてきたんだよ」
「?」
「分からない?ようやく暗闇の中で糸口を見つけたんだけどねぇ…。まぁここまで行き着いただけでも収穫はあったかな」
「??」

怪訝な表情のままの"私"に対して"私"はガクリと肩を落とすが、直に気を取り直すように眼鏡をクイっと持ち上げる。伊達眼鏡なんだけどねぇ、アレ。

「"私"のことだから手に取るように分かるんでハッキリ言わせてもらうと、正義を信じたいけど邪悪を信じる"私"の中には、二つの選択肢がある」
「二つ?」
「これまで通り、人を殺めて人を護るか。それとも、邪悪な人殺しを否定して、人を殺めず人を護るか」
「そんなこと…」
「血にまみれた自分には出来ない?恥知らず?現実的に不可能?…今はそんなことは重要じゃないよ。大事なのは、大塚信子は何者かってこと」
「…何者?」

もうそろそろ夕日が沈もうとしていた。

「時間だね。それじゃ私はこれで」
「………」
「悩んでるねぇ。でもいいんだよそれで。それじゃ、次行ってらっしゃい」

再び銀色の閃光が私を包む。

 

入れ替わる景色。感覚が不安定になり、上下左右の認識すら覚束なくなる。
今度私の目に映ったのは、どこか洞窟のような場所の天井だった。私は何時の間にか寝かされている。
起き上がって脇を向いた時、私の両目は驚愕に見開かれた。

「琴乃ちゃん!?」

そこにはなんと、劒冑となる前の琴乃ちゃんが私に背を向けて甲冑を眺めていたのだ。
眺めている甲冑とは無論、村雨である。

「琴乃ちゃん…」
「信子さん」

御堂、ではない。琴乃ちゃんは確かに私を信子さんと呼んでくれたのだ…。
ただそれだけなのに、懐かしさがこみ上げてきて涙が零れる。
私は琴乃ちゃんの胸に勢いよく抱きついた。
琴乃ちゃんは手にしていた鎚を置いて、私を優しく抱き締めてくれた。

「琴乃ちゃあん…」
「おーよしよし。おーよしよし。信子さん、今までよく頑張ったね」
「大変だったんだよぅ……。でも私、琴乃ちゃんに頑張ったなんて言われる資格は無いの…本当にごめんねぇ…」

びぇえええん!と私は本格的に泣き出してしまう。ああ、みっともない事この上ない…。

「どうして?」
「え?」
「信子さんは本当によく頑張ってる。それは私が誰よりもよく知ってるよ?」
「だって…だって…私、結局人殺ししてただけで…正義は独善でぇ…」
「うんうん」
「ジョーンに偉そうなことなんて言えない…。ジョーンとは一緒に行けないってはっきりそう言ったのにぃ…」
「確かに私と信子さんは、ジョーンを否定した。どうして?」

涙と鼻水でぐずぐずになりながら、琴乃ちゃんの胸から顔を上げる。
琴乃ちゃんの表情は静かだった。

「世界に新しい秩序をもたらすことがジョーンの目標だった。それは私も、凄く大事なことだと思う」
「私だって…」

ジョーンは世界にバランスがもたらされる事を望んでいた。
手段は認められなかったけれど、少なくとも行き着く結果は私も望む所だ。
だからこそ、一度は彼女に手を貸す決意をしたのだから。

「けれどその為に、ジョーンは命を天秤に乗せてより大きな方を救うことが出来ればそれが正義だと言った。ジョーンは自分達の裁量で、死すべき人とそうでない人を分けようとした。そしてジョーンの言う新しい秩序は、オヴァム計画の犠牲を少数と切り捨てることで得ようとしたものだった。それでより大勢の人が救われるからだって。私は、それが認められなかった」
「うん…」
「私ね、思うんだ。ジョーンは決して冷血な人間なんかじゃない。命の重さを天秤にかけることに何の抵抗も感じなかったわけじゃない。むしろ、ジョーンは自分の正義を断行する度に、心に業を刻み込み続けていたのかもしれないって」
「ジョーンが…」
「うん。だから私が問いかけた時、ジョーンは怒ったんだと思う。ジョーンも悩みながら進んでたんだよ。信子さんと一緒で」
「けど、私は…」
「信子さんは自分はジョーンと同じだと思ってる。結局自分も、大勢を生かす為に少数を殺した。しかも誰が生きるべきで誰が死ぬべきなのか自分で決めたって。でもジョーンは、そうは思っていない」
「どういうこと?」
「ジョーンは、自分と信子さんは違うと思ったはずだよ。そして、信子さんの道を信じてみたくなった。だから私達を生かしてくれたんじゃないかな」
「何が…違うっていうの?」
「ジョーンの正義は天秤のつり合いを護ることであって、新大陸の人達を護ることじゃない。でも信子さんは違う」
「信子さんは、力弱い人達を争いの犠牲にしないために、護るために闘った。やってることは同じでも、信じた思いは違う。ジョーンはそれを尊いと思ってくれたんだと思う」

けれど、ジョーンの正義に比べたら、私のそれは酷く曖昧なものだ。

「私はジョーンの正義を受け入れられなかったけど、でも、信子さんもジョーンも、結局はどっちも正しくてどっちも間違ってるんだと思う。だって」
「どっちも独善だから?」
「うん。だからね、大事なのは選ぶことだよ」
「選ぶこと…それって」

さっきもう一人の"私"が言ってた…。
琴乃ちゃんは私の意を悟っているかのように頷く。

「信子さんの中には二つの選択肢がある。一つは、人を殺めず人を護る道」
「けどそれは…」

それは綺麗事で、私にとっては恥知らずで…。

「例えそれがどれほどに困難な道でも、私はその決断もまた尊いと思う。殺さないっていうのも一つの立派な覚悟だよ」
「琴乃ちゃん…」
「そしてもう一つは、今までのように人を殺めて人を護る道」
「………」
「それもまたとても大きな決断。信子さんはこれからも、自分の信じたい正義と信じる邪悪の二つを背負って闘い続けなくちゃいけない」
「琴乃ちゃんは…どうなの?」
「私?」
「琴乃ちゃんはどちらがいいと思う?」

この期に及んで煮え切らない私に対し、琴乃ちゃんはううんと首を振る。

「私にあった選択肢はもっと別のもの。そして私はもう選んだから。信子さんを信じて、信子さんを助けるって。だから劒冑になるって決めたの」

周囲が淡く光始める。それは琴乃ちゃんの体も同様で、何の変化も無いのは私だけだった。
琴乃ちゃんは光る自分の手を見つめてから、何かを決意したように目を瞑り、私に背を向ける。
そして静かに洞窟の、鍛冶場の奥へ進もうとしていた。

「時間だ。いかなくちゃ」
「琴乃ちゃん!?」
「よかった…。あの時ちゃんとお別れを言えなかったことが、ずっと心残りだったの」

背を向けていた琴乃ちゃんが、私から少し離れてようやく振り向く。

「最後に一つだけ聞いて。信子さんは私の理想を意識し過ぎている。今はもう、私と信子さんの理想なんだよ?そして、私は信子さんを信じて劒冑になった。今やもう、"村雨"の理想は信子さんの理想。信子さんの進む道が"村雨"の道。それを忘れないで」
「琴乃ちゃんッ!!!」

光が更に強烈になる直前、一本結びされた琴乃ちゃんの後ろ髪が解かれた。
琴乃ちゃんの姿と武者形の村雨の姿がブレ重なる。
琴乃ちゃんがこれから何をしようとしているのか私は理解した。

「さようなら。そしていってらっしゃい、信子さん」

私も、きちんと…言わなきゃ。

「いってきます。そしてさようなら、琴乃ちゃん…」

眩い閃光が洞窟内に広がる瞬間、私は溢れる涙なんかに構わず強く叫んだ。

「琴乃ちゃぁあああああん!!!」

─────────。

──────。

───。

 

………。
今度の景色には見覚えが無かった。
どこかの山奥の小高い丘の上、月夜に浮かぶ夜桜の木の下に私はいた。
確かに場所に心当たりは無い。けれどもう、今度は誰がいるのかは確信があった。

「ねぇ村雨」
≪何?≫

傍らから自然と声が返ってくる。そこには私の劒冑がひっそりと佇んでいた。

「…選べないよ。どうしても、選べないの…」
≪何故?≫
「どちらも正しくて、どちらも間違ってることが分かってしまったから…」

人を殺めず人を護る道が村雨なのか?だが私は非力故に知ってしまっている。誰かを殺めなければ誰かを護れないことがあることを。
では人を殺めて人を護る村雨ならいいのか?しかし血にまみれた私は知ってしまっている。誰かを殺めることは、別の誰かが護りたい人を殺めることでしかないのだ。
どちらも正しく、そしてどちらも間違っている。
これでは私は、どちらも選ぶことが出来ない…。

≪…そうだね。どっちを選ぶのが正解なんてものは無いと思う。けど、御堂はもう選んでるはずだよ≫
「私が?」
≪悩み苦しみながらも、御堂は何時だって力弱い誰かを護るために闘い続けてきた。私はその日々を誰よりもよく知っている≫

…そう、私はこれまで闘い続けてきた。人を殺めて人を護ってきた。確かに既に選んでいたのだ。
けど…。

「けど、これからも同じ道を歩んでいける自信が無いの…私は、弱いから」
≪うん。御堂は弱い。…でも私は信じてる≫
「え?」
≪…ねぇ≫
≪御堂は覚えてる?御堂に刀の使い方を教えてくれた人のこと≫
「示現流の?」
≪うん≫

旅の間に出会った、示現流使いの風変わりな蝦夷のおじいさん。
妙な縁から山奥の田舎町でおじいさんと出会った私は、数ヶ月間彼に師事して剣術を教わったことがある。
その修練内容はと言うと、示現流の型稽古はすっ飛ばして、おじいさんの経験に基づいた実戦(大戦よりも昔は武者だったらしい)、特に双輪懸での立ち回りのテクニックを叩き込まれるといったものだった。
故に私は、示現流剣士から剣術を教わりはしたが、示現流そのものを修めたわけではない。
ただし、示現流の基礎稽古である立木打はひたすらやらされた。
蜻蛉の構から立木を打つ単純な内容だが、太刀筋、手の握り、腰、気合いなど、一之太刀を磨く上でかかすことの出来ない稽古な為、大太刀による一刀両断を極めたかった私としては願っても無い鍛錬だった。

≪私はあの人の言葉をよく覚えてる≫
「………」
≪特に好きだったのはね…≫
≪──────刃に映る己を見ろ≫
「それは…」

そうだ、あの時も、私は何の気無しにあの人に悩みを打ち明けた。
そうしたらあの人はこういったのだ。「一人前の剣客の刀とは、己を映す鏡である」と。

─────────人間ってのは魂だけは嘘は付けん

─────────どんなに理屈並べようとも、魂だけは己の真実の姿を知っとる。どんな道を選ぶしかないかもよーく分かってる

─────────お前さんの剣にそれが見えた時、それがきっと

─────────それがきっと、お前さんの奥義って奴じゃろうよ

私は尋ねた。示現流では"雲耀の太刀"とはそういうものなの?

─────────いんや。うてが勝手に噛み砕いてそう思っておるだけだ。自分の姿を悟るまで極めたなら、それはもうそいつにとっての奥義でいいんじゃよ。うてはそう思っておる

そうしてあの人は、私に一振りの刀を鍛えてくれた。刀鍛冶の技術も持っていたのはその時初めて知った。

≪仕手と劒冑にも通じるような言葉だったから、凄く印象深かった≫
≪そして、私は誰よりも御堂の魂を知っている。だって、ずっと一緒だったんだもの≫
「村雨…」

桜が散る。
花びらがゆらゆらと、ゆらゆらと月明かりの中を舞う。
辺りにゆっくりと光が満ちていく。

「私は…」

もしも。もしもである。
これまで私は悩みながら闘い続けてきた。
答えが出ないともがき苦しみながら闘い続けてきた。
それは何故か。
どんなに悩んで、答えが出なくとも、目の前の理不尽な暴力を見過ごすことが出来なかったからだ。
それが…それが、答えだと言うのなら。
それが偽ることの出来ない大塚信子の魂の姿だと言うのなら。

──────ならば、私はッ!

私と村雨が見つめ合う。
輝きの中、私は右手の親指を歯で軽く裂く。血が僅かに滴り落ちる。
やがて私は親指を、村雨は前足を互いに向け合った。

「…行こう、村雨」
≪はい。どこまでも、ずっと≫

私の視界を桜の花びらと銀の光が覆う。
その煌く閃光の向こうに、私は琴乃ちゃんの笑顔を見たような気がした。

 

 

…目を開ける。
寝起きではあったが意識はハッキリとしていた。
境内に横たわっているらしい私の目の前には、私を護るように村雨が立っている。その視線は私とは反対に向けられており、つられて私もそちらを見ると──────

「凛ちゃん!?」

劒冑を装甲した凛ちゃんが、平居水魚の猛攻を受け続けていた。

≪御堂!?良かった、気が付いて!≫
「…状況は?」
≪御堂が気絶して、劒冑狩りの夜叉が御堂にトドメを刺そうとしたした時、間一髪で凛ちゃんが飛び込んできて…≫

凛ちゃん────たしか劒冑の名は湯殿山だったか────を見ると、よく目をこらすまでもなく、胸部に深い傷跡が出来ている。…私を庇った時に受けたのか。

≪あの太刀には毒が塗ってあるみたいなの。それで凛ちゃん、ずっと防戦一方で…≫
「ッッ」

体の節々が痛みを訴えるが、脂汗を流しながらそれを懸命に無視する。
私は村雨の背を借りてようやく立ち上がった。
数メートル先に私の刀が落ちている。
深呼吸を一度すると、幾分痛みが和らいだ。
私は刀を拾い上げる。

「そこまでよ」

さして大声を上げたつもりは無い。
だが凛ちゃんと、そして平居水魚の注目を得るには十分だったようだ。

「起きたの?でも後少し待ってて欲しいんだ。このお邪魔虫を今始末するから…」
「誰がッ!!」
「その必要は無いわ。ここから先は私が引き受ける。さっきの続をしよう、平居水魚」
「信子!?」「へぇ…」

平居水魚の注意がこちらに向いた隙に、凛ちゃんは彼女から一足飛びで距離を取り、私の傍へと着地する。

「…信子、やれるのか?」
「大丈夫だよ。それと、さっきは助けてくれてありがとう。凛ちゃんはもう一人前だねぇ」
「信子、闘うなら直に装甲しろ!奴は正真正銘の化け物だ!!」

凛ちゃんの叫びを聞いて、こちらへゆっくりと歩みを進めていた平居水魚が立ち止まる。

「いいよ、今度は待っててあげる。武者になったらちゃんとボクを救ってくれるんでしょ?」

平居水魚の問いに私は答えない。

「凛ちゃん、熱量は全て傷の回復と解毒に回しなさい」
「信子、まさか生身のままで奴と闘うつもりか!?」
「大丈夫だよ。私を信じて」

凛ちゃんは数瞬沈思していたが、やがてコクリと頷いた。

「…分かった。後を、頼む」

凛ちゃんが力を抜いて横たわるのを確認すると、私は刀を天高く体のやや右上に構える。
構えは八双にも似た蜻蛉の構え。示現流独特の構えだ。
今の私が欲するのは純粋な一撃の破壊力。武者正調の右肩上段構えでは足りない。

「村雨、下がっていて。…この刃にどんな私が映るのか、私はそれを見極めたい」
≪合点≫

向かい合う敵は甲鉄すら断ち斬る剛力の持ち主。
正面から斬り合いを挑むのは愚の骨頂。それは気絶する前の立ち合いで思い知らされた。装甲する暇があるのなら有無を言わさずするべきだろう。
しかし。だがしかし。
これだけの窮地、これほどの絶体絶命の状況こそが、正に私の望んでいた局面。
極限状態の中でこそ、人は自らを偽ることが出来ず、その真実の姿を晒すのだ。
私が知りたいのは唯一つ。

大塚信子とは何者か。

人を殺めて人を護る者か。
人を殺めず人を護る者か。

この一太刀でそれを見極めてみせる。

「……」

私の気配に何か察するものがあったのか、平居水魚も表情を消して太刀を右肩に担ぐ。

「………」

彼女の太刀も相当な業物と見受けられたが、今となってはどうでもいい。

(三千世界の地の底まで届くように斬るべし)

示現流とは初太刀に全てをかける流派。
一之太刀を疑わず、二之太刀を信じず。
雑念は捨て去り、ただ一刀に全身全霊の"意地"を込める。

(静かだ)

気絶する前はあれだけ己を揺らしていた悩みや葛藤が嘘のように、今の心は平静を保っていた。
我が心の静かなること水の如く。

(しかし)

我が剣の激しきこと雷の如く!
賭けるはこの命、挑むは一撃必殺!!

「いざ」
「ッッ!!!」

動き出したのは平居水魚だった。
溜めに溜められた脚力が境内の地面に炸裂。粉塵が舞う中、弾丸のような強烈な突進で私に迫る。

「ガァアアァアアアアアア!!!」

平居水魚の間合いは私より広い。
故に。
平居水魚が自らの間合いに私を捕らえる瞬間、私は縮地の踏み込みで一歩を大地に突き刺す。

「キェェエエアアァァァッ!!!」

無我境の彼方、真実の魂の姿が今この一太刀に宿る。
その刹那、極みに至った太刀筋は稲妻の閃きにも匹敵した。


─────────。


交差したまま重なり合う両者。
両者の間には沈黙が降りたまま。
しかしてその勝者とは──────

「ぐッ、あぁぁ?あああぁぁああ!?」

平居水魚の胸から鮮血が迸り、その身が崩れ落ちる。
私の刀と正面からぶつかり合った彼女の太刀が、その手を離れて胸部に大きくめり込んだようだった。
対して私の得物を見れば………刃が途中で折れている。
太刀ごと叩き折るだけの気合を込めたつもりだったが、結局折れたのはこちらの刀だった。
あの太刀、私が以前練習に使ってた劒冑の兜よりも硬いようだったのは気のせいだろうか…?
業物とは思っていたが、どうもその程は予想を大幅に超えているのかもしれない。

(しかしなんにしても)

大塚信子とは何者か。
私は確かに自分にそう問うた。

明鏡止水という言葉がある。
己の心が一つと定まった時、刃は自身を映す鏡になる。
雑念を捨て去り、己をただ一振りの刃と化してみればこの威力。
刀を握って幾星霜、今日ほどその太刀筋の極まった日は無かった。
この一刀が、私のこれまでの全ての闘いの積み重ねの上に生まれたのだとしたら──────

──────では、これがそうなのか。これが答えなのか。

(確かに、"私"が見えた)

「う……うぅぅ…あぁ………うぁ」

平居水魚が体を横向けにしながら地面を這いずり、私からゆっくりと離れていく。
…傷が深すぎる。武者であっても致命傷だ。あの深さでは心臓すら潰されているだろう。むしろ即死しないのが不思議なほどである。これが実験の成果だというのだろうか…。

≪御堂≫

呼ばれて傍らを見れば──────
確かにそこに"私"がいた。
"私"をこれまでずっと映し続けてきた刃金がそこにいた。

「村雨」
≪はい≫
「私は私の正義を信じる。そして同じくらい、私の邪悪も信じる」

力弱き人々を護るために戦う。これが私の正義。けれどその為に人を殺める。これが私の邪悪。
かつて私は、私の正義を信じられなかった。
けれど。
もう一度、信じてみようと、そう思う自分がいる。
自身の悪を認め、向き合った上で尚、もう一度正義を信じようと強く思う自分がいる。
けれど。
決してこの正義は掲げまい。
村雨は無言でただ穏やかな波を返すのみ。

≪…違うよ、御堂≫
「え?」
≪私のじゃなくて、私達の、でしょ?≫
「…そう、そうだったね。私の村雨」
≪忘れないで、御堂。貴女が斃れる時が私の心鉄の朽ちる時。その時まで、私は御堂の傍を離れない。決して≫
「うん」

私は一つの決意を固めると、横たわったまま事態の推移を見守っていた凛ちゃんに向き直る。

「凛ちゃん、本当にありがとう。小太郎にも宜しく伝えておいてね。それと、さようなら」
「え?」

疑問の声を呟く凛ちゃんには答えず、私は彼女に背を向ける。
凛ちゃんと行くのは、"ここ"までだ。

「あぐッ……うぅう……ク、草薙ィィイイイイイイイッッッ!!!」

平居水魚が絶叫する。
彼女の声に応えるように、巨大な蛇のような何かが地面を突き破って出現し、彼女を守るようにその周りを囲んだ。
草薙…あれがか。

≪如何する≫
「決まってる…傷を、"戻せ"ェッ」
≪承知≫

草薙と呼ばれた劒冑は平居水魚の胸に埋まった太刀を咥えると、無造作にそれを引き抜いた。

「ギャアァァアアアアアア!!……う、が…この、馬鹿!!」

そう彼女が悪態をついたのも束の間、驚くべき光景が私の目の前で展開される。

(傷が治っていく!?)

致命傷に耐える強化された平居水魚の生命力も凄まじいが、その傷を一瞬で完治させようとしている草薙の治癒力も驚異的だった。
いや、これではむしろ、まるで時間を巻き戻しているかのような──────。そういえば忘れていたが、彼女の右足も本来は既に自壊していたはずではないか。

「ハァハァハァハァ……座興はもう、これでお終いだ…。草薙、装甲するぞッ!?」
≪承知≫

遂に傷を完治させてしまった平居水魚が、勢いよく立ち上がる。

「我が身既に鉄なれば」
「我が心既に空なれば」
「生者必滅」

血の匂いを纏った生暖かい風が吹きすさぶ。
その中心から、禍々しい気配を放つ武者が誕生の産声を上げた。

「うぉおおおおおあああああああ!!!」

その恐るべき光景を前にしても、私の心胆はいささかも震えることは無かった。
草薙の目がこちらに向けられる。

「さぁ、お姉さんも装甲しなよ!?ボクは弱い武者様に救ってもらうつもりはない!!強くなかったら直にブチ殺してあげるからさぁ!?」

私は彼女の目を真っ直ぐ見つめながら答えた。

「私は今から貴女を殺します。でもそれは、貴女を救う為なんかじゃない。私の独りよがりな正義のため…」

そう、だから──────

「ごめんなさい。私に貴女は救えない」
「な……ん…!?」

私に出来るのはただ彼女を無慈悲に殺すことだけ。

「それじゃあ行こうか。──────村雨を始めよう」
≪うん。始めよう、御堂≫

「仁義礼智忠信孝悌」

私に仲間はいらない。何故ならこれは"私達"の正義だから。他人を連れ込むことは許されない。

「抜けば玉散る氷の刃」

私に共犯者はいらない。何故ならこれは"私達"の邪悪だから。他人を過ちに走らせる訳にはいかない。

「振れば命散るさだめのツルギ!!」

私の正義に仲間は必要なく、私の邪悪に共犯者は不要だった。
私には、この冷たい鋼の半身がいれば十分なのだ。
迷いは振り捨てず、常に己に問い続ければ良い。必要なのは、答えを掴む強さと覚悟。
そして私は遂に出発点となる答えを得た。

──────秘めたる正義は掲げることなく、私は孤独に邪悪を背負い、闘い続ける

これが私の見つけた唯一つの真実。武者村雨の進むべき道。
私達の真の戦いが、今始まるのだ。

心と体が重い。

当然だろう。
これから行く道の険しさを思えば。
私が背負い、胸に秘めるモノの重さを思えば。
だがもう心配はいらない。"私"は一人では無いのだから。
…そんなことは、とうに知っていたはずなのにね。全く。

激しい旋風が巻き起こり、私の体に藤色の甲鉄が装甲される。
総身を駆け巡る圧倒的な、そしてかつてない全能感。真の合一、心甲一致というものに、私達は更に近付いたのかもしれない。

「………」
「………」

全身に闘気を漲らせた二騎の武者が、己が得物を構えて対峙する。
炎に彩られた舞台の中で、もはや戦端の火蓋は何時切って落とされてもおかしくない。

「………」

私はこれからも迷うだろう。私は何者かと、己に問い続けるのだろう。
けれどもう心配は要らない。
きっとその度に、劒冑に映った私の心がこう告げるのだ。

我等は装甲仁義。
我、英雄に成り得ず。
我、悪鬼に成り得ず。
例え幾万の血にまみれようとも、水気満つるこの鋼の穢れることは無く、この信念の曇ることはない。
そう、故に我等の名は、

「装甲仁義村雨、推参!!」

 

 

続く


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